心の森、霧の向こう

やり場のない怒りや悲しみのやり場

やり場のない怒りや悲しみのやり場

2024年06月17日 12:14

やり場のない怒りや悲しみ。


怒りや悲しみのやり場。


なんだか不思議な言い回しです。


やり場のない。と言いながら、もう一方ではやり場。と言っています。


やり場があるのか、ないのかどっちなんだ?!という感じがします。



この、どっちなんだ?!とはっきりしないのが、心理療法、セラピーの特徴です。


心理療法、セラピーでは、多くの場合、怒りや悲しみのテーマが出てきます。


そしてそれは、クライエントさんにとってやり場がないものです。


やり場がないから困られてセラピーの場にいらっしゃるわけです。


「セラピーの場がその怒りや悲しみのやり場です。どうぞ置いていってください。」


と言い切ってしまえればよいのですが、それは少し違います。


クライエントさんの怒りや悲しみをカウンセラーがとって代わることは不可能だからです。


でも、心理療法、セラピーの場は、確かに怒りや悲しみのやり場です。


まるで金魚すくいのポイのように、セラピーの場は、ひと時は、怒りや悲しみ(金魚)の置き場にはなります。


ただし、ずっとそこに置いておくことができません。


ずっと置いておこうとすると、ポイは破れてしまいます。


ポイは掬い取った金魚(怒りや悲しみ)を、どこかに移す橋渡し役です。



それはどこか。


心の金魚鉢が必要です。


心の金魚鉢。


それは何なのか。


どこにあるのか。


どうやって探したらいいのか。



どう作るのか。



正直、わかりません。


えー!?と驚かれるかもしれません。


セラピストをしている私自身も、セラピーを受け続けて、心の金魚鉢らしきものがようやく見つかってきた段階です。


まだ、らしきもの。です。


だからまだセラピーを続けています。


セラピスト自身も、最終的なゴールに到達していません。


そして、最終的なゴールに到達した。と言い切れるセラピストは一人もいないと思います。


普通、こんなことを言うと、商品は売れませんよね。


良くなるかもしれない心理療法。


これが心理療法かわからないけどおそらく心理療法です。


みたいな感じでしょうか。


なんとも不完全な感じ。


でも、こういった限界、わからなさに正直にあろうとするのが心理療法、セラピーの本質だと思います。



わからなさを味わいながら、それでも探していく場。


はかなくもろい、でも、必要な道具であるポイのような心理療法。



ポイを片手に携えて、あなただけの心の金魚鉢を見つける旅に出かけます。


旅の途中では、喜び、安心、好奇心を体験します。


そして、不信、不安、幻滅も体験します。


悲しみや怒りが登場します。


感情体験が豊かに行われ、何かがまとまってくることになれば、素敵です。


セラピスト自身が、何かがまとまる体験を持っています。


ゴールに着いていないと書きましたが、一方でまとまっていくイメージには共通点もあるのがまた事実かと思います。


最新の研究ではクライエントとセラピストの右脳同士の交流、共鳴、同期が心理療法、セラピーの促進につながることが明らかになってきています。


右脳はイメージを司ると言われています。


セラピストが持つ、心の金魚鉢らしきものができていくイメージ、つまりやり場のない怒りや悲しみのやり場についてのイメージは、きっとクライエントさんにも共鳴していくでしょう。


だから、この人に話してみようという直観は、一定の根拠はあるものだと思います。


心理療法、セラピーの少し先を知っているセラピストが同行します。


心理療法、セラピーってなんだろう、わからない。



正直そう思っています。



でも、それを仕事にして追求しています。



当ルームは、このような考えのセラピストが運営しております。