心の森、霧の向こう

症状は生きるために必要だったものでもある

症状は生きるために必要だったものでもある

2024年07月10日 14:15

カウンセリングで訴えられる悩みや症状は「なおしたい」、「解消したい」から訴えとして出てくるわけです。


それはあたり前でしょう。


一方で、その悩みは、その人が生き延びてくるなかで身につけた、行動、認識、情緒のパターン、あり方、状態であるという視点もとても大切だったりします。


特に、パーソナリティ、性格についての悩み、価値観や生き方についての悩みでは、この考え方は大事だと思っています。

【この悩みは、自分にとって必要なものでもあった。ある意味「病まないでは」生きて来れなかった】と考えてみることもできます。


例えば、人前に出ると緊張してしまう。引っ込み思案で緊張しいの性格だから、緊張しないようになりたい。


という悩みがあったとします。医学的には社交不安障害といった診断になる場合があると思います。


でも、人前に出るとなんらかの不都合があるから、人前に出て自己主張しないように心と身体がセーブをかけてくれてきた、という見方もできます。


人前で自分のことを主張すると、親から批判される、無視をされる、友だちや周囲から叩かれるとか、そういう状況が繰り返されれば、人前に出る場面になると「緊張」というサイレンが鳴る。


だから自己主張は控える。結果心が傷つくことを回避することに役立っていたという可能性があります。


医学的には障害と名前がつきますが、緊張は自分自身の心を保つために、これまで自分を守ってきてくれた適応の仕方だったわけです。


ただ、それが悩みになってきているということは、今の環境においては、もう自己主張しても大丈夫だし、むしろそれが必要とされるのに出来ない。だから不適応になっているということなのでしょう。


つまり、周囲の環境の変化や状況によって、症状となるのか、生きる術となるのかとでもいいましょうか。


だから、なんらかの悩みが出てきて、それを何とかしたいという時には、きっと環境の変化やライフステージの変化なども影響しています。


症状は、今はなくしたいけれども、そのおかげで生きてこられた道具、自分にとって大切な仲間とでも言える存在なんだと思ってみることが出来ると、心が楽になると思います。


そして、それを少しずつ手放していく、変化させていく、そんなイメージです。(環境がそれを許さず、緊急な対応が必要な場合にはカウンセリングは適しませんが)


このような考え方をするため、じっくりお話をうかがいながら、カウンセリングは進んで行きます。


すぐに症状をとにかく叩いて消す。というアプローチではないので、変化は緩やかになります。


また、環境の変化も、刻々と変わる場合もあるため、その時々で、どう適応していくかのゴールも変わるでしょう。


様々な可変的な要素を視野に入れながら、心の持ちよう、考えよう、行動の仕方を都度都度検討し続けること。


これって、自分一人では難しい、もっと言えば、ほぼほぼ不可能なことです。



カウンセリングは、そのための伴走役とでも捉えていただけると良いのではないかと思います。


心の変化、考え方、行動の仕方のクセやパターンを変えていくことは一人では難しいです。


自分には見えない自分の盲点が必ずあるからです。


ですので、他者の視点で自分を見てもらうことは不可欠です。


人生の専属カウンセラーをつけて、自分の性格、生き方、価値観などを、変わりゆく環境に適応しながら、なんとかサバイブできるよう変化させる試みには、意味があると思っています。


そういった存在を必要とされている方が多くいらっしゃるだろうと思っています。


よろしければぜひご利用ください。