心の森、霧の向こう

自己研鑽というアディクション

自己研鑽というアディクション

2024年07月03日 16:34

アディクションという言葉があります。


嗜癖と訳され、ある特定の物質や行動、人間関係が本人、周囲の人々に都合の悪い事態が引き起こされているのに、その習慣にはまってしまいやめられないこと。


と言われています。


お酒や薬物のイメージが強く、自分には関係ないという方が多いでしょうか。


では、仕事とか自己研鑽のアディクションと言ったらどうでしょうか。


休日返上で働いたり、休日も仕事に関する研修を受ける、安い給料でも我慢して労働問題の改善を訴えない、サービス残業は当たり前・・・・その間、家族との時間は取れない、プライベートのつながりも持てない、結婚が出来ない、子どもを持てない・・・・


日本人の多くに関係していると思いませんか。


アディクションには現実逃避の効果があるので、「いやそんなことない」と否認(事実をないことにする)する方は、アディクションに陥っているかもしれません。


労働時間の長さ、少子化、経済の低迷・・・ここ30,40年の日本の状態です。出生率やGDPなどのデータに明らかに表れています。


そしてなんだか、これ、心理職のことでもあるなあと思うのは私だけでしょうか。同業者の方なら分かってくれるかも。


また心理職に限らず、非正規雇用で働く専門職、専門家の方などにも言えるかもしれません。ポスドクの方、図書館司書さんはじめ、様々な専門家の方。


我々カウンセラーは個人の心を扱うわけですが、個人を取り巻く家族や地域、国家、世界という視点で見ると、この自己研鑽というアディクションに見事に陥っているケースは多々あるように思います。


自己研鑽にいそしむ多数の人々を見ながら、ほくそ笑む少数の権力者たちという構図は明らかでしょう。大学の同級生には電通やらどこやらに進んだ連中もたくさんいますが、彼らの暮らしは・・・・。


勝ち組、負け組の分断が進みました。元はただの友だち同士だったのに、立場によって世界が分断されてしまう。



権力にとっては、お酒を飲ませて奴隷を働かせるのと同じで、自己研鑽という魅力ある酒を飲ませ嗜癖させ、システムを維持する奴隷が必要なわけです。



その構造自体に目を向け、構造による影響を受けている個人に気づき、構造を少しずつ変化させていく、構造の中で生き抜く視座を持たないと、なかなか個人の心の生きづらさも変わらんなあと思います。



少し話は変わって、「カウンセラーになりたい」とあこがれを持つことは、アディクションの文脈で見ると、人助けへの嗜癖かもしれません。


自らの心の痛みから目を逸らし、一時麻痺させてくれ、幸福感をもたらすアルコールや薬物、性と同じ性質が、カウンセラーとして他者の心を救いたいという心情には含まれます。


マスメディアの影響もあり、ホストにあこがれる、キャバ嬢にあこがれるといったイメージが作られている部分があるように思います。元AV女優がなんだかインフルエンサーだったりします。でも夜の世界の闇は実際は深いわけです。


闇を伝えずに、なんだかキラキラしたあこがれの的に仕立てるセンスには吐き気がします。

臨床心理士になろう、公認心理師になろう、そういうポジティブキャンペーンは耳にしますが、心理士・師になりたいのはアディクションかもしれないよ。怖い世界だよ。やめときなよ。よく考えて、どうしても来るなら仕方ないけど。


そうやって公言している心理職は少ない気がしますが、私はそう思っています。



自己研鑽もほどほどに。ばかも休み休み。そんな酔い覚ましスイッチを作っておくことが大事だと思います。


違う世界観を持った人とつながる、休日はゆっくり休んで遊ぶ。よく食べてよく寝て、よく笑う。よく運動する。


ネットの世界から離れて、散歩する、空気を吸う。吐く。


人生の当事者は自分自身。


そんな当たり前の暮らしを大事にし、それを求めて戦っていくことが、心の健康、豊かさに近づく道なんだろうなあと思います。


ずいぶんとかけ離れている日本の現状に、ただ悲しい気持ちしかないですが、その時代に子どもから大人になった我々世代(アラフォー)のような思いは、子どもたちにはしてほしくないです。


子どもたちの世代やその先の世代には、少しでも変っていてほしいと願います。


「自己研鑽というアディクション」から「自己研鑽という暇つぶし」にでも変われば、とてもよきと思います。